AIに任せるのと、何が違う? グラレコを人が描くということ

AIに任せるのと何が違う? グラレコを人が描くということ。グラフィックレコーディングを描く小川綾を配した記事のアイキャッチ。

最近、よく聞かれることがあります。
AIに任せるのと、小川さんに描いてもらうのとでは、何が違うのか。

私が大切にしているのは、描いたものを見ながら、その場の人たちと確かめ合うことです。

私自身、AIにはとても助けられています。
議事録をつくったり、領収書の整理を手伝ってもらったり。
考えを整理したり、情報を集めたり、勉強の先生になってもらったり。
触らない日はないくらいです。

画像もつくってくれるし、インフォグラフィックで資料としてわかりやすくまとめてもくれる。
AIって、本当に便利ですよね。

グラレコの依頼を検討してくださっている方も、社内で「AIに任せるのと、小川さんに描いてもらうのとでは、何が違うの?」と聞かれることがあるのだと思います。
この記事が、そのときのヒントになればうれしいです。

AIと人が描くグラレコは、何が違うのか。

私の場合は、何を描くかだけでなく、描いたものを通して、その場の人たちとどんなやりとりができるかを大切にしています。

具体的にどういうことなのか。この記事でお伝えしたいことを、先にまとめてみます。

・言葉の奥にある想いも、確かめ合える。
・分からないことを、急いで結論にしなくていい。
・参加する人も、自分の言葉を加えられる。
・話し合いが終わったあとにも、対話が続く。

目次

どんな言葉を拾い、何を描くのか

話し合いの中から、どの言葉を拾うか。

私は描く前に、その場の意図や願いをお聞きしたうえで、描きます。

だから描いているのは、話のまとめでだけではなく、その場が、私からどう見えたか、です。

話された言葉そのものだけを描いているわけでもありません。

人と人のあいだで確かめ合える、数字や事実。
その人が感じていることや、心に浮かぶイメージ、願い。
そして、まだ言葉やイメージになる前の、かすかな感覚。
私は、こうした違う層に意識を向けて、行ったり来たりしながらお話を聴かせていただいています。

話を聴くときに意識を向ける3つの層。確かめ合える事実、想いやイメージ、まだ言葉になる前の感覚を行き来する様子を表した小川綾の手描き図。
事実、想いやイメージ、まだ言葉になる前の感覚。それぞれの層を行き来しながら聴きます。

情報を伝えることが目的のグラレコもあります。
数字や事実を整理して届けるグラレコなら、AIの方が得意かもしれません。

数字や事実を確かめながら、言葉になった想いにも、まだ言葉にならない感覚にも、耳を傾けたいと思っています。
そのために、声色やトーン、ニュアンスを拾うように努めています。

その場の文化や、みなさんが大切にしていることも、話を聴くうえで大切な手がかりです。

話している方の違和感にも、全身を使って耳を傾けています。

スラスラ話が出てこなくなったな。
何かに引っかかっているな。
うまく言葉になっていなさそうだぞ。

そういう場面では、問いかけてみたり、「こう聞こえました」とお返ししたりすることもあります。

「頑張ろう」の、2つのニュアンス

同じ「頑張ろう」という言葉でも、ニュアンスは1つではありません。

こぶしを握って、自分から燃えている「頑張ろう」。
小さな声で、どこか追い込まれている「頑張ろう」。

どんな想いで、その言葉を口にしているのだろう。
声色や前後の話にも耳を澄ませながら、描きます。

同じ「頑張ろう」でも、自ら意欲を燃やす気持ちと、追い込まれた気持ちを描き分けたグラレコ。
「頑張ろう」の2つのニュアンスの描き分け

違っていたら、「ちがうよ」と言ってもらえる

とはいえ、読み取ったものは、あくまで私からどう見えたか、です。
違和感を感じることもあります。

違うな、まとめられちゃったな、と思ったら。
そのモヤモヤを、ぜひ教えてほしいです。

だから、描いているものは、できるだけみなさんから見えるところに置くようにしています。
デジタルで描くときも同じです。
私だけが画面を見ている状態にしないで、どこかで見える場面をつくる。
振り返りの時間に、いったん共有する。

デジタルで描いたグラレコを共有しながら話す場面。
デジタルで描くときも、描いているものを共有しながら話せるようにしています。

途中が見えていれば、違っていたときに「ちがうよ」と言ってもらえます。
そこに言葉を足したり、描き直したりできます。

「ちがうよ」と言っていいし、描き直せる「余白」。
そういう安心感を、その場につくりたい、という願いがあります。
安心感があると、やりとりが生まれます。
そのモヤモヤ自体が、次の話し合いのきっかけにもなります。

分からない気持ちを、そのまま残す

地域の移動手段をテーマにした、ある対話の場でのことです。
模造紙には、その場で出てきた言葉を書きました。

「生まれ育った故郷で生き続けられる仕組みづくり」
「この地域で最期を迎えたいという想い」
「住み慣れたエリアを離れなければならない痛み」

ふるさとを離れなければならない、という言葉の裏にあるのは、悲しさなのか。寂しさなのか。悔しさなのか。
それは、話しているご本人に聞いてみないと分かりません。

故郷を離れなければならない気持ち。
住み慣れた地域に、住み続けられない苦しさ。
愛着。ふるさと。悲しみ。
そういう入り混じったものを、テーブルのそばでずっと感じていました。

分からないものを、分かったように描くことは、できてしまいます。
でもそうすると、紙に残るのは、その方の気持ちではなくて、私の解釈です。

表情が描かれていなければ、分からないということが、そのまま紙の上に残ります。
見た人が、この方はどんな気持ちだったんだろう、と心を向けてみる。
そんな余白にもなるのだと思います。

一方で、みなさんに書き加えてもらえるよう、あらかじめ余白を用意することもあります。

私が分からなかったところは、上から重ねて書いてもらう。
付箋で声を集めて、書いてもらう。
私がたくさん解釈して描くよりも、小さく描いておいて、そこにシールを貼ってもらう。

シールを貼ってもらうと、そこにみなさんの関心が集まります。
どこが気になっているのかが、紙の上に見えてきます。

そうやって、みんなで意図を紡ぎ合うこと。
腹落ちしたり、新しい意味づけをしたりすること。
その営み自体が、参加する意義なのだと思います。

決まっていないことは、決まっていないまま

私が大事にしているのは、結論のようにまとめないことです。
まだ決まっていないことは、決まっていないまま置いておきます。
未完成なものを、未完成のまま、みんなで持っておけるように。

できあがったグラレコを、点としてお渡しするだけでは、場に良い変化は起こりにくいのではないか。
私はそう思っています。

整った一枚を受け取ることと、そこに描かれたことを自分たちの言葉で確かめること。
その両方があって、少しずつ腹落ちしていくのだと思います。

何が収穫されたのかを、みんなで話す

描いたあとに、ハーベストバックの時間をとることがあります。
その場で何が収穫されたのかを、描いたものを前にして話す時間です。

描いたグラレコを前に、話し合いを振り返る場面。
描いたものを前に、話し合う時間も大切にしています。

話しているうちに、参加した一人ひとりが、自分の意図とつながっていきます。
そして、みんなで振り返りができます。

話の途中で「こう聞こえました」とお返しするのも、ハーベストバックのひとつです。

MOCはじまりマルシェの木

未完成のまま置いておいたグラフィックから、あとになって人とのつながりが生まれた事例を少し。

2026年5月1日。
宮崎市の高千穂通りにあるコミュニティ拠点、MOC(宮崎オープンシティ推進協議会)の1周年記念イベント「MOCはじまりマルシェ」で、グラフィックレコーディングを担当させていただきました。

事前に、MOCの方と打ち合わせをしました。
そのとき、一緒に持っていた願いがあります。

この日が、はじまりの場所になってほしい。
当日来られなかった人とも、つながり合えるように。

モチーフには、大きな木を選びました。
MOCのある高千穂通りの楠並木と、「はじまり」という言葉が重なったからです。

MOCのある宮崎市・高千穂通りの楠並木。
MOCのある高千穂通りの楠並木

A0のパネルの上半分に木を。
下半分に、当日の各セッションの様子を描いていく構成にしました。
木の幹と背景の緑は、事前に描いておきました。

そして木の箇所はたっぷりとスペースを取ります。

MOCはじまりマルシェで使った、葉っぱの付箋を貼る前の木のグラフィック。
葉っぱの付箋が加わる前の木。幹と緑だけを先に描いておきました(MOCはじまりマルシェ)

当日は、葉っぱの形をした付箋を用意して、「あなたがこれから始めたい事は?」という問いを置きました。
参加された方に、付箋に書いて木に貼ってもらうよう呼びかけました。

参加者の言葉を書いた葉っぱの付箋を、木のグラフィックに貼る様子。
葉っぱの付箋を、木に貼っていただきました

そうして、木に葉が集まっていきました。

参加者の葉っぱの付箋が少しずつ集まった木のグラフィック。
少しずつ、葉が集まっていきました
MOCはじまりマルシェのグラレコ全体。上半分に参加者の言葉を集めた木、下半分に各セッションの記録。
完成した全体。上半分の木には参加されたみなさんの「これからはじめたいこと」、下半分には1日の各セッション(MOCはじまりマルシェ)

パネルは今もMOCに置いてあって、来られた方の目にとまり、これは何ですか、と聞かれるきっかけになっているそうです。
1枚のグラフィックから、はじまりの日のことにつながっていく。

事前に話していた、来られなかった人ともつながり合えるように、という願い。
それが、当日ではなく、あとになってから、形になりました。

1枚のパネルの上で、参加された方の言葉と、登壇された方の話がつながる。
あの日と、今がつながる。
その役目を、あの木は少し果たせたのかなと思っています。

一枚ずつ、薄い紙を重ねるように

「AIに任せるのと何が違う? グラレコを人が描くということ」と書かれた手描きイラスト。

終わったあとに「何がよかったか」「次はどうしてみようか」を、一緒に振り返りたいと思っています。

一回でできなくてもいい。
一枚ずつ、薄い紙を重ねるように、積み重ねていけたらと思います。

その場で出た言葉を、一枚にまとめる。
私がグラレコでやりたいことは、その先にもあります。

描いたものを見て、「そうそう」と思ったり、「ちょっと違う」と言葉を足したりする。
描かれていない表情に、どんな気持ちだったのだろうと考える。
余白に自分の言葉を書き込んで、話し合いに加わる。

描いたものがあることで、もう一度、自分や誰かの想いに触れられる。
MOCの木のように、その日にいなかった人とも、あとから話がつながっていくことがあります。

私は、そのために何を描き、何を描かずに残すのかを、その場にいる人たちと確かめながら考えていたいです。

AIに任せるのと、何が違うのか。

一枚を仕上げるまでにも、仕上げたあとにも、人とのやりとりが続いていく。良い変化を生み出していく。
そこまで含めて、グラレコを一緒につくっていきたい。

これまでに描いてきた現場は、実績ページにまとめています。
ワカツタの実績ページはこちら

人が関わらないと、場に変化は生まれにくい気がする。
でも、どうしていいかが分からない。

そう感じている方がいらっしゃったら。
まずは、できることから少しずつ。
一枚一枚を、一緒に積み重ねていきませんか。

※3つの層の説明は、アーノルド・ミンデルのプロセスワークをもとに、この記事では身近な言葉で表しています。どれか一つを優先するのではなく、それぞれの体験を大切にする考え方です。参考:エイミー&アーノルド・ミンデル公式サイト

ピン🌱ときた方に届きますように!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!
目次